メモ:恐るべき子供たち

kagariさんのブログで無邪気についての考察を読みました。
http://oet.jugem.jp/?eid=340
あちらのコメにも書いたのだけど、自分用メモとしてこちらにものせておこう。

一部の芸人さんに見られる残酷な無邪気さについてのエントリでした。

>もしかして無邪気(=子供)という仏教用語がそもそも問題なのかもしれませんね。白井氏を見ると、キリスト教性悪説の子供が浮かびます。本来子供は善ではなく律される必要がある、という。なぜだかこれまで行動や、少なくとも発想は律されることなく来てしまったので、一見無邪気(子供という意味で)に見えるが実は性悪なわけです。
ふふ、お笑いのこと考えて性善説性悪説まで飛び出すとは。
他の芸人さんがこわいというのは、彼らが性善説を下敷きにしているからかもしれません。子供なのに善じゃない、こわいという発想で。

恐い無邪気について考えるときに、必ず思い出すのはジャン=コクトーの「恐るべき子供たち」。そして萩尾望都の漫画版。

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

恐るべき子どもたち (小学館文庫)

自分の欲望に忠実な子供はとっても恐いわけです。そして、その性質が保存され、自己完結的な世界で純化されるととってもとっても恐い。チーモンチョーチュウ白井氏は菊地氏という外部の人間のコントロールを経てぎりぎり社会的に許容される範疇の子供らしさを体現している感じですかね。まあ、その許容範囲のきわにいるときが一番面白いとは思うんですが。