お笑い芸人のクィア要素について(またまたアンサー編)

id:LiveinTokyoさんにまたアンサーいただいたので、ネット対談な雰囲気をあえて楽しみつつまたさらにアンサーしてみようと思います。
http://d.hatena.ne.jp/LiveinTokyo/20090531/1243700095

ジェンダー論にはいずれ踏み込まないといけないと思っていたので、むしろつき合ってくれる方がいるのはうれしいです。芸人(というか吉本の)ホモソーシャル社会のいびつさは気になって仕方ないのです。

>極端に言えば男性と女性も連続的な存在だと考えています。
というのは私も同意です。性差というのは実は作られたもので、男性と女性のジェンダーはグラデーションで繋がっているものだと思います。

>つまりMaleのクィアは自身、自身の身体に願望を投射"projection"し、クィアではないMaleは願望をFemaleに求める(おっぱい揉みたいとか)。それに対して、Femaleのクィア(性)は自身よりも他者に願望を投射し、その結果BL、百合が生まれ、クィアのバリエーションが少なく見えるのかもしれない。

腐女子クィアなのは多分そうだと思います。が、彼らのクィアな面がセクシャルな面での実践というよりも、脳内での思考の面により重点を置かれているというのが、ちょっと奇妙なクィアーだと思います。腐女子は、自身の欲望を自身のものとして認識して欲望を他者に投射するのではなく、他者の欲望かのようにすりかえて投射する。また本来欲望を投射される自身の身体をも、BLマンガに置ける受けの男子へとすり替える。つまりは欲望の投射を主体的なものとしても受動的なものとしてもすり替えるというテクニックをもって、自分の身体からは一端切り離し、一種クールな脳内遊戯のようにして楽しむというのが、一応のBLの楽しみかただとは思います。

とはいうものの、今となっては女性が性的主体であるということはある程度認められてきてるはずなので、多少は変わってくるとは思います。きっととても単純に男性同士の絡みを女性の欲情可能な視点から楽しむというように。でも歴史的に形成された腐女子というあり方はそう簡単になくなりもしないだろうと思います。一種の距離感が腐女子の特徴かなと思います。

また女性芸人のクィアなバラエティの少なさは、確かに男性芸人に対して非対称だと思います。これは悲しいかな、女性クィアの方が圧倒的に立場が弱いからかなとも思います。一般的にいって、女性の性的マイノリティの方がクローゼットの割合が高いはずです。タレントもおネエ系はたくさんいても、オナベはあまり(ほぼ)いないことからも分かると思います。これはあくまでも顕在化していないだけなのですが。(ちなみに外国人から見ると、和田アキ子クィアーらしいです。日本のテレビはクィアーがいっぱいいて不思議って書いてある本を読みました。McLelland, Mark. "Male Homosexuality and Popular Culture in Modern Japan".)

おまけで私の知る範囲のオリジナルセックスが女性であるクィアな人のデータを羅列してみます。最近、ゆきちとかいうおなべタレント志望の人がよしもとオンライン大阪金曜日にレギュラーで出てます。(さすが吉本と言わざるを得ません。)あと、全然売れてない芸人さんだったと思いますが、「浜ちゃんと!」の西川史子のココロとカラダのお悩み相談クリニックで、自分が女性が好きか男性が好きかわからないと言っている、かなりジェンダー表象が男っぽい女性芸人さんもいたはずです。それを芸にしているかは見ていないので分かりませんが。ビアンはどうかといえば、思い出せません。そういえばビアンマンガというのも少ないですね。ビアン芸人も百合芸人も思い当たりませんね。

よく言われることですが、男性が女性になるのは社会的弱者になることで、男性優位を脅かさないから問題はないが、女性が男性になるのは、男性優位を脅かすので、社会的に容認されにくいのです。例にあげられていた虹組キララは宝塚的で、架空の男だから許容されやすいタイプですね。宝塚は周到に男性優位を脅かさない男装キャラを作りあげてきたらしいですし。
もし女性ジェンダーを逸脱するのを少女が夢見てしまう方向で男装キャラが受けてしまった場合は、執拗に抑圧されてきたようです。宝塚や手塚治虫リボンの騎士は、男の子ジェンダーになって活躍するのが女子に異常に受けてしまったため、管理していた男性が多いにあわて、ジェンダー的倒錯を少女がおこさないように必死で管理し誘導したらしいです。(押山美知子氏の少女マンガジェンダー表象論—“男装の少女”の造形とアイデンティティに詳しく歴史的経緯などが書かれています。)

なにせ女性よりの性的マイノリティはクローゼットすぎて、芸人がネタにできるほど顕在化していないというのが現状ですね。だからこそ、その中で唯一存在感を増しているBLというジャンルは面白いと思います。一応表向きのセクシャリティヘテロでありながら、実践を伴わない脳内で楽しむものとしてのホモセクシャルなセックスを楽しむわけなので、一応遊戯として許されているのでしょう。

色々つらつらまとまりなく書いてきましたが、何よりも少女漫画自体がその歴史に、クィア的なものやジェンダー越境的なものを最初期から含んでいるからこそBLは見逃せないなあと思うのです。もちろん王道の少女漫画でも全然かまわないんですけども。

おっとと私の中でまだ生煮えなのに腐女子論にふみこみすぎました。
こういった非対称性は気になるものの、今まだ女性サイドのクィアなものが笑える時期ではないのだと思います。次第と出てきたら楽しいとは思いますが、フェミアクティヴィスト的に、こういうのがないのはおかしい!とかいうと笑いから大分遠くなってしまいますよね。いろんなものが笑えればいいなと思います。笑いが様々なものを包み許容する力を信じているので。

今や少年漫画少女漫画というくくり自体があまり意味をなさないような作品も出てきてますし、色々楽しみです。

これはマンガについてのエントリなのか笑いについてのエントリなのかってかんじですね。はは。

といったところで一端筆を置きます。暑苦しくて失礼しました。