漫才コントに縛り付ける: 三文字ゲーム

チーモンのネタって漫才だけどコントだよなあってのが多いと思ってました。
そしたらそういう漫才コントってのもなかなか歴史があるものだったんですね。
LittleBoyさんのブログに、手数を増やすということが漫才の一つの必要十分条件になっていく流れがまとめられていました。ダウンタウンこそが漫才コント(最初に「俺これやるからお前あれやって」と設定を決めてやる漫才、漫才の中にコントが入った入れ子状漫才)を完成し、短い時間の中で手数を増やした先駆者であったらしいです。(となるとチーモンって実はダウンタウンの正当的な後継者なんですね。)
http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/20081214#p1

さてさてチーモンのネタって漫才コントこそが主流であるわけです。そしてそのコントが3文字ゲームであったり、ちっちゃい物ゲームであったりと、白井氏提案の独自ルールにのっとったゲームをしなければならないわけです。つまりはものすごーく縛りのある漫才コントなんです。なにせゲームなので、やめたら負けなので、菊地氏は違和感があろうとも逃れられない。つっこむことすらゲームの負けを意味するから許されないんです。この特殊なしばりがチーモンの世界へ引きずり込む鍵となってるわけです。そしてこの構造っていうのがなかなか特殊で面白いんですよね。この構造も漫才史の流れにそっているようで、突然生まれたものではなかったようです。

サンキュータツオ氏のブログによると今の漫才は
http://39tatsuo.jugem.jp/?eid=195
>「漫才コント」をやるか、「しゃべくり」でいくか、その二択しかない。
とか。(大分前の記事なので、今はまた違うような気もしますが。)
そしてアンタッチャブル(訂正しました)が一度つきつめた漫才コントはいったん保留され、しゃべくりへ向かっていたとのこと。ところが、サンドウィッチマンが漫才コントの最初の設定をあえて遵守するという手法を用い、再度漫才コントを返り咲かせたという歴史の流れがあるそうです。
サンキュータツオ氏の言を借りれば、
>漫才コントの利点は、実際のコントと違って、ツッコミ役の修正が可能で、設定前の「通常時二人」に戻れるところである。)
ところがサンドウィッチマンは漫才コントをさらにラディカルに一切設定から離れないという手法をとることによって、ある種の究極の形へと進化させM-1優勝を勝ち取ったという分析なんです。

確かに漫才コントが返り咲いたんだなってのは分かります。NON STYLEもそうでしたもんね。ただNON STYLEはボケである石田氏が自分につっこんで軌道修正するってのが独自の手法でした。

さてさて、チーモンの漫才コントはゲームですから一切設定から離れるのが許されない。3文字ゲームのネタの終わりは大体ゲームのルールの適用に菊地氏があらがって終了させるときです。あるいは白井氏がずるをしてしゃべっちゃうとき。すなわちチーモンの漫才コントの前提というのは徹底的にネタ世界に演者を縛り付ける構造におかれているわけです。これは漫才コントを突き詰めた一つの形なのかもしれないですね。

ところが、これにもやはり限界があるのか、最近ではそのゲーム自体の裏をかくという構造へと進化しているようです。これが顕著なのはちっちゃいものゲームです。このネタでは菊地氏がゲームのルールの穴を見つけ、裏をかくことによって、成立しかけたネタの中にあるゲーム世界を、そのゲームにのっとりながら終了させています。つまりはゲームを攻略してしまい、漫才コントにしばりつけるゲームルールに乗っ取りつつもゲーム世界を乗り越えてしまうんです。つまりサンドウィッチマンが提示した漫才コントの設定を修正しないで、漫才コントという手法に自らを縛り付けるというやり方を踏襲しているのにも関わらず、それなのに漫才コントを脱構築してしまうというなかなか面白いネタ構造な気がします。

あーやっぱチーモンっておもしろいなあー。はてさて明日はどんな面白いネタがみれるやら。
今から楽しみでなりません。