カリスマ芸人待合室感想(続き)親密な空間:見られる観客

イシバシハザマのシチサンでもちらっとカリスマ芸人待合室について触れてましたねー。最近、イシハザ、グランジチーモンがあそこにいっつも呼ばれる吉本若手らしいですよ。

さて、私はここんとこずーっと、カリスマ芸人待合室についてふわふわ考えたり思い出したりしています。それだけ私にとってはインパクト大!なライブだったようです。

それはもちろん、観客席が異常に近いというそのことが原因なのですが、それがこんなにも私の心理に影響するってのはどういうことなのかなあとか考えているんですよね。

これはやっぱり、舞台というもの、劇場というものへの私のある種の信頼感というか、思い込みというか、そういったものが覆されるような舞台だったからに他ならないと思うんです。

つまり、舞台と観客席にあるはずの結界がなかったこと、そして、視線の方向性が双方向的であったことに起因した、特殊な鑑賞体験が私の心理に色濃く影響したんですね。

カリスマ芸人待合室の劇場は、一般の家の地下を改造して舞台にしたようなものらしく、非常に狭い空間です。およそ真ん中で舞台は仕切られているんですが、そのしきりというのはあってないようなものなんです。非常に曖昧な心理的結界とでもいうべきか。舞台は、グレーの一般家庭にあるような普通の絨毯が敷かれている範囲までで、客席は板の間になっていて、そういう視覚的な結界のみが存在しているんです。つまり、観客と演者はほぼシームレスな空間に共存していて、同じ高さの空間に存在しているわけです。高さというのは思いのほかそこにいる人間を心理的にある種の権威付けするものなので、高低の差がないということ、ほぼ同じ高さ、すなわち同質の空間に存在しているということによって、観客と演者はかなり心理的に近づくことになります。つまり、舞台に存在すべきある種のヒエラルキーが取っ払われてしまっているわけです。(高さが権威的だというのは、権威的な西洋建築には入り口にむかって階段があることを思い出していただければ分かりやすいかと思います。)

で、本当にこのライブはかなりお友達のライブを見に来ちゃった感覚を思い出させるものであったわけです。私としては。つまり、さして親しくもなければ、それまで全く思い入れのなかった芸人さんたちを目の前にして、心の中で「この人はここをこうすればもっとよくなるのに!」とか友達気分で考え応援してしまっていた訳です。実際ななみさんには色々アドバイスしたい!と本気で思いましたが、やめました。(構成とかいろいろ。)

それと、この舞台構造で何より特筆すべきはその小ささゆえに、観客が一方的に「見る」側ではいられないということです。せいぜい2−30人がマックスなキャパですし、距離も異常に近いので、そらあもう観客のリアクションがびんびん演者に伝わるわけです。視線もあいがちですし。もちろん、どの劇場にいても、観客は見えているわけですけど、観客側の心理的に一応結界があるから、見えていても自分としては直接演者に働きかけているという感覚は希薄です。その結界がほぼ無いというそのことだけで、こんなにもライブの体験が違うものかと驚きましたね。こういうライブは久しぶりだったので、ライブ開始しばらくはものすごく居心地が悪かったんですが、途中から、なんて贅沢なライブなんだろうと思うようになり、よっしゃ楽しんだれって思いました。

普段は観客から演者へと一方的に向けられている望遠鏡がぐるっと観客へと向けられているというか、そもそも望遠鏡が必要ない、直接的にまなざしあう感覚がほんとうに生々しくて、ひりひりしました。

そしてあの小さくて異常に親密な空間で見た芸人さんたちには、異様な親近感を覚えましたので、これから彼らを必要以上にひいきしていきます。心の中で!

あの舞台で共演した芸人さんたちが、チーモン曰く「同じ戦場で戦った仲間みたいな気がしてよその現場で会うとうれしくて、仲良くなる。」というのはものすごくうなづけます。観客ですらちょっと思ってますからね、勝手に仲間だな的なことをw。

なんとも、原始的な参加型鑑賞体験でとっても面白かったので、是非行くといいと思います!最初はびびるけども!

ちなみに舞台と客席の間にある結界についてはライスの連れ込み喫茶について分析したときに詳しく書きましたので、よろしければ。
http://d.hatena.ne.jp/punch-line/20090624/1245856571