解説付きで見るM-1予選3回戦:LLRのマイクロポップワールド

第2部後編ではLLRも取り上げてました。
大吉さんが、「無限大に出入りしている僕としては落ちたのがショックです。」と言っていました。そして「ネタの作りかたの次元が違いますよね。僕たちなら絶対時事ネタいれたくなりますよね。恐いですよね。言葉遊び一本できれいに作ってありました。残念ながら審査員の琴線にふれなかっただけかもしれません。」とも言っていました。
大吉さんらが、ジェネレーションギャップを感じているのが面白く、そして自分がその若いジェネレーションが好きな理由がちょっと分かった気がして面白かったです。

AGE AGE LIVEに出ている芸人さんって、ネタ世界がミクロだなあと思ってはいました。ネタにする対象がものすごくちっさいせまーい世界のことだったり、異常なくらい身近な世界についてのみに注目していたり。確かにそれは、もしかしたら批判されることかもしれませんが、同時に、そこにつぼれる人には、ものすごくディープな共感なり笑いなりを引き起こすことも可能なわけです。そして、彼らに共感できる世代というのが、やはりかなり若い世代に多いのでしょう。だから、M-1にははまりにくい。審査員はおじさまですし、観客のジェネレーションも高めですからね。

ちょっと脇道にそれますが、こういう卑近な対象にばかり引きつけられ、ものすごく小さく身近な世界を作品世界とするっていうのは、まあ、いわゆるゼロ年代的な風潮ですよね。アートの世界でも最近松井みどりという批評家が、原美術館で行った『夏への扉マイクロポップの時代』という展覧会で、まさに、20代から30代頭くらいの若い作家の2000年代前半くらいまでの作品を取り上げていました。(AGE AGE 芸人とほぼ同世代で同時代)

彼らは現在の世界に不安を抱いているためか、大きな外部の世界というよりは、彼らに取って卑近な世界の断片や凡庸なもの(どちらかといえば内的世界の投射しやすいもの)に注目していて、そこに価値を見いだし作品化しています。これはAGE AGE LIVEの芸人たちのネタにどこか通じるのではないでしょうか。
そしてLLRこそが、そのネタのマイクロさ(ミクロさ)において郡を抜いていると思うのです。決して時事ネタなどによって、現実的な問題をはらんだ大人の社会を取り込むことなく、ひたすら自分たちの興味のある身近なことばかりをネタにする。これはチーモンもそうです。が、チーモンのほうが少し物語性が強いので、(これはゲーム等の影響が強いためであり、やや普遍的な物語をネタにしている場合も稀にあります。)LLRのほうがより、彼ら自身をネタにしているところが強いので象徴的です。
(囲碁将棋もマイクロポップかな。でも彼らはもう少し笑いとしてのベタを取り入れているし、テーマも大きいからちょっと違うかな。)

M-1の予選3回戦でやった『だいずき』のネタなんて、福田氏が大豆製品に対しては大好きじゃなくて、『だいずき』と言うルールを決めて、伊藤氏に好きか嫌いか問われたら、間違えないように答えるということだけを、ごりおししている言葉遊びのネタです。あまりにもきゃっきゃとした日常的な会話の延長でしかない。しかも、良く言われますが、高校の同級生だった彼らならではの、まさに高校時代にタイムスリップするような子供じみた言葉遊び。
そしてそれこそが、マイクロで、ポップで若い世代を引きつけるんですね。

なんか、子供っぽくてしょうもないのに、どうして面白いんだろうって思っていたんですが、なんとなくやっと腑に落ちた気がします。
LLRは彼ら以下の世代の共通の感覚を強烈に刺激するネタを作っていたんですね。
多分滅多なことでは審査員世代には評価されないとは思いますが、私は好きです。多分M-1はずーっとだめだと思うけど、めげずに我が道を行って欲しいです!

ほめてんの?けなしてんの?って思われるような文章ですが、ほめているつもりです!だって、LLRはものすごく『今』なネタをやっているんですよ。ここに漫才の現在性の一端があるんだと思います。
それは本当に稀なことで、きらきらしていること。

最後にAGE AGE LIVEでのやつをのっけときます。