視覚的な漫才

長らく放置しておりすいません。
どうもツイッターではじけております。
ゆるレポをあちらにと決めたらこっちでなかなか書けないものですな。と言い訳はさておき。

前回少し触れていたチーモンの漫才の魅力の一つである、かれらのネタのもつ視覚的な想起力について書いてみたいと思います。視覚的想起力なんていうと堅苦しいですが、つまりはネタを聞きながら脳内でくるくると絵が展開していく面白さがあるというのがチーモンの最大の強みなのじゃないか、ということです。

チーモンのネタでは言葉遊びに長けたものが、どちらかというと有名なような気がします。例えば3文字ゲームや、ある言葉を繰り返してもじっていくような、指切りのようなネタであるとか。でも、そういった言葉遊びのセンスを支え、ネタの面白さを豊かにしているのは、言葉のおもしろさに伴った、イメージの展開力です。

そもそも漫才はコントとは異なり、一応話芸であるという前提があります。つまりは、ネタを展開する際に、演じるよりも、「説明する」ということが重要なわけです。もちろん、昨今では漫才コントが優勢ですし、曖昧ではありますが、それでもやはり重要なのは動きよりも言葉それ自体です。言葉のうみだす、リズム、うねり、そしてそれらが喚起する物語と映像。そういったものが混然一体となって生み出す一つのグロテスクでありながらもどこか白昼夢のような形をした美しい世界。それこそが、チーモンの魅力です。

例えば、最近よくやっているネタの「人魚姫」なんて典型的です。もともとがメルヘンなおとぎ話でありながらも残酷で、そもそもチーモンにぴったりの題材な上、人魚演じる白井氏が、ユーモラスに泳ぎまわる上、足を手に入れるための薬は飲み薬ではなく塗り薬。膝下までしか塗らないので、腰まで人間、腰は魚、膝下からまた人間という異形なものになってしまうというステキさ。そして、さらに薬を海にまいたら、魚は全部足だけになってしまうのでは?と妄想が飛躍。一瞬にして、異形な人間魚人間、足だけが泳ぐ海、という絵が脳内に展開するのです。なんて奇妙でステキでいびつな世界なのだろうと、毎回胸がどきどきします。

こんなステキな世界が展開していくネタって本当に他にないと思います。しかもこういうネタがいくつもいくつも生み出せるなんて!シチサンライブなどのトークでも白井氏が暴走すると、こういう連想がつらつらと展開していき、脳内絵図にしばし、感動し、そして私の回路がショートしかけてしまいます。

そして、これを観客に伝わりやすくしているのは、まぎれもなく、翻訳者菊地氏!彼の、白井氏の世界感に巻き込まれながらも、誰もが思う、どういうことそれ?という感情を分かりやすくシンプルにしてツッコミながら、的確に情報を補足していく技術はなんてすごいのか!

長くなりましたが、チーモンの魅力は最たる部分は、漫才の世界を一瞬にして脳内に画像として展開させる、その巧みさ、そしてその浮かぶ絵の奇妙さなのだと思います。

これは本当に得難い個性なので、是非ともこれからも展開していって欲しいものです。そして、きっとこの力を無尽蔵に持っている彼らはまぎれもなく天才なのだ!と思います!!!