漫才とコント比較:集約と拡散

漫才とコントは何がどう違い、何が共通しているのでしょうね。
漫才とコントを全く異なるジャンルのものとして、捉える事自体、もしやナンセンスかもなとは思うものの、やはりどちらかを得意とする芸人が多いのも事実で、多少気になる問題ではあります。

以前漫才とコントをチャート化してみたりもしました。
漫才http://d.hatena.ne.jp/punch-line/20090517/1242570320
コントhttp://d.hatena.ne.jp/punch-line/20090518/1242618799

でも今はそういうことよりも、それぞれの表現の志向する方向性のほうが気になります。

一言で言うと、漫才はミニマルでそぎ落とした表現へと集約していくのに対し、コントはマキシマムに、無限に広がるという感じでしょうか。前者はミニマルな表現で想像力をいかに刺激するか、後者は表現がマキシマムに広がる可能性の中で、どうやって世界を限定し、切り取るか、というような違いを感じています。

漫才はやはり話芸です。セットも何もない中で、会話とマイクの前という限定的な場所でのジェスチャーによって、様々に無限の想像力を刺激するのが魅力です。つまりは、いかに何もないところから、世界を構築するか。限定的な中でいかに、広がりを生むかが勝負な気がするのです。

一方でコントはテレビなどの場合ではセットなどもあり、ある程度世界感があるなかで、色々はストーリーを描くもので、より総合的なものです。舞台ですら、簡易なセットはあり、物語世界により簡単に入れるような仕掛けがある。そして、ストーリーの描きかたはそれこそ無限にあり、どんどん世界は拡張し、場合によっては霧散すらしてしまう。だからこそ、コントの場合は、その世界をつなぎとめるために、ある程度鮮やかな構造や、分かりやすいキャラなどが必要とされるのではないか?と思います。

しかしKOCを見て、コントはネタが拡散しやすい傾向にあるためか、それをつなぎとめるために、異常なくらい構造が鮮やかなもの、キャラが立ちすぎているものなどあり、バランスが難しいなあと思いました。
ある程度しっかりした構造がなければ、鑑賞に耐えうる強度がないけれど、そればかりでは、どこかクールすぎ、鑑賞者を突き放すようなものになってしまう。キャラが強すぎても、どこか暑苦しくて居心地が悪い。

未だ漫才もコントも見ながら勉強中ですが、うまさとおもしろさを両立するのはげに難しい。
とりあえず漫才は集約、コントは拡散!と思ったのでした。