低温火傷☆

チーモンチョーチュウのネタを見た後に何かじわりと残る感じ。
笑った後になんとなくそれだけじゃないものが残るような?それって何かなって考える。

ああ、これってそうだ。「低温火傷」だ。

1998年に東京都現代美術館でアニュアルグループ展である「低温火傷」が開かれた。展示された作品に感銘をうけるというよりも「低温火傷」というコンセプトに感銘をうけた記憶がある。日本のこの豊かな現代社会のなかで、なんとなく感じるじわりとした痛みとか生きにくさとか、そういったものを表現した現代作家の作品を集めたものだった。なんとなくはぎれの悪い鑑賞体験、それ自体が現代社会のなんとなく居心地のわるい感じを象徴しているような展覧会だった。

そしてチーモンについて考えていたときに、ふっとこの言葉を思い出した。

あ、チーモンのネタを見た後の感じは「低温火傷」に似ているかも。

M-1敗者復活戦の3文字ゲームの迷子ネタなどは、ばちっとオチがきまっているけれど、チーモンのネタにはオチがあるようなないような感じのものも多い。かなりの割合でチーモンはオチが決まるっていう、漫才という型の基本からこぼれおちる。おそらくこのふわっと終わる感じ、低温な感じが好き嫌いを分ける理由の一つだと思う。オチがきまらないと、見てる側としては物語にピリオドがきちんと打たれないので、あれれ?と、なにか不思議な感じのまま残される。ふわふわじわじわ。

この感じ、これが低温火傷な感じ。

Rush-1のちっちゃいい話(http://toyota.vo.llnwd.net/e1/toyota/rush/index.html?18)も、そう。
まずはこの先を読む前に是非見てください。

これは二人がどんどんと相手より小さいものを言い合うゲームをするというネタだけれど、最終的には発案者の白井氏が一枚上手の菊地氏にかなわない。そして白井氏はくやしがって「うわああああ」と奇声を発して発狂しながら頭をたたく。

なんか字面にしちゃうと面白さが伝わらず申し訳ないけれど、見た後は笑えるけどなんかちょっと胸がひりひりする。なんかもどかしい。それはきっと子供が常に感じているであろう、全てが思惑通りにはいかないもどかしさ。大人になったら噛み砕いて飲み込んでしまわねばならない感覚。そしてそれがじわーりと残る。

ちょっと文脈は違うけれど、白井氏が昨日オンラインでの罰ゲームで相方の好きなとこを言った後に体をくねくねさせながら言った言葉。「なんかこの(胸)のへんがもこもこする。」そんな感じでもある。

漫才の型というものにこだわるなら、きちんとしたオチというのがあった方がいいのかもしれない。でもチーモンの魅力はこのなにか消化不良でじわっとくるオチのない感じにあるのかもしれないと思う。まだ若手で荒削りだからこそのこの感じかもしれないけれど、あえてこういうネタもやりつづけてほしいな。と思うのであった。

ところでチーモンのよしもとオンライン、来週はないんですって。
情報誤掲載ですって。ヤホーのバカー。
いーかーりー