S-1批判についてもうちょっとだけ考察☆

S-1が始まってもいないのに、2チャンネルやブログなどのネット上ではネガティブな反響が大きい様なので不思議に思っています。私はわりとこういうことに対して距離感があるタイプなのでいいと思うんですが。後でS-1自体をちゃんと評価さえすればね。


ネガティブな意見が出る理由が主に二つあるようです。まず賞金があまりに高額なこと。もう一つは一般投票に対する不信頼性。お笑いに対する賞金としては高すぎ芸人のためにならないしM-1の文化を破壊しかねない。そして一般投票は人気投票(場合によっては組織票)になってしまい、本当に面白いものなんて分からない層が投票する危険があるんじゃないかというもの。お笑いに対してポジティブな層の意見としてはそんな感じです。芸人にそんな大金ありえないっていう嫉妬の声も聞かれます。まあそんな感じで皆さんひいてしまっている様です。


私はアート畑の人間なので、優れたものに対して高額なお金が払われるのには抵抗がないんです。当然だと思います。文化にはパトロンが必要だと思いますからね。まあやり方には問題があるかもしれないし、継続的にやるかも不明なので真摯な事業ではないかもしれませんが、どかんとスキャンダルを起こし、起爆剤になるのはいいんじゃないかな。人気があるものにお金が集まるのは必然でしょう。そしてそういった賛否両論巻き起こるということはそれだけ注目を浴びているということで、芸人が評価されるチャンスも増しますし、それだけでもう価値があると思います。

私はお笑いというものが好きでもライブに行くことやDVDを購入すること以外で、個人レベルでどうやってサポートすればいいかよく分からなかったので、こういった機会があるのはむしろ喜ばしいと思います。ソフトバンクパトロンになるということは、ひいてはソフトバンクを利用している利用者がお笑いをサポートすることになります。お笑い好きとしては少しでも芸人にお金が回ってくれればうれしいと思います。


そしてソフトバンクというお笑い文化圏の外から、賞レースをやろうとするという動きが出て、評価も一般投票にしようという動きも、お笑いの実践者つまりは内部の人間しかお笑いを評価できないという閉鎖的な世界を打開することへ繋がり、お笑い文化自体が次のレベルへと進む時期に来ているということなのではないかと思うのです。(美術批評もそうなんですよね。最初は画家が画家を評価していたけれど、次第に実践者以外も批評をするようになります。そのレベルに達して初めて優れた批評文化が形成されるようになります。)現在お笑いの権威であるとされているお笑いの師匠たちから一端権威を奪ってみるのも面白いと思います。現在のお笑い権威機構の脱構築になるでしょうし、今まで評価されなかった種類の笑いに対する評価がなされるきっかけにもなりうると思います。


この二つのことに対する違和感というのは主に、日本人が文化に対してパトロンになるということに対していまいち自覚的じゃないかということと、お笑いがやはり下位文化として認識されているからじゃないかなと思います。日本人は文化人は清貧であるべきと思っている節があるので、高額賞金にはいやらしさを感じるんでしょうね。そして優れた文化を保護するのは国家ではなく自分自身だという意識も寄付文化も希薄なのであまりないのでしょうか。またお笑いを下位文化と認識するのも、今まである基準や枠組みによって下位だとされていただけで、その枠組み自体が所詮作られたもので自明なわけではないし、常に枠組みは変化するものだと思っているので、お笑いにはそこまで高額の賞金を出すべきではないとも思いません。


うーん、それともファンが不満なのは今までライブに行くなどして地道にサポートしていたのにたいして、大企業が土足で踏み込んできたからで、だからいらだってるってのが一番の理由なのでしょうか。

なんにせよ、S-1が善かれ悪しかれ今のお笑い界に風穴をあけることは疑いないので、これからどうなるか楽しみに待ちたいと思います。誰が出るんでしょうねえ。


でもふしぎだなあ。好きなものには皆お金だしたいんだと思ってたのになあ。
お笑いのパトロンになることについても色々考えて書こうと思っていたんだけど、どうも予想してたのと違うのかも。まあファンの層によって大分違うのかもなので、一枚岩には語れないんでしょうね。