言語以前のコミュニケーション???☆

2/20収録、2/27配信のチーモンチョーチュウシチサンライブの感想をまたしても放置していました。なんだかとっても語りづらい何かがあるのです。で、その語りづらさの正体がなんなのか、なんとなく分かった気がしたので書いてみます。私にとって、2部のゲームは面白いし、色々な意味ですごいんだけど、おおげさかもしれませんが、なんとなく得体がしれない何かでちょっと見た後途方にくれる感じだったのです。そうまさにチーモンのゲームは私が語り得ない何かなのです。つまりはチーモンの面白さには言語として優れたものと、プリミティブな身体感覚を伴うものとが両方あって、今回後者が露骨に見えたのですが、あまり身体的な笑いには自覚的でなかったのでちょっと驚いたのでした。(後半ちょっと突っ込みすぎた分析かもしれませんので、ご了承ください。)


さてさて例によって構成は収録後にとった前ふり、1部フリートーク、ブリッジ、2部ゲームという流れでした。


前ふりではチョコレートプラネット松尾氏を殴るふりして、「レーロレロレロ」とかって叫ばせるという下りをしつこくやってましたが、ああいう声を生かしたギャグって白井氏にこそなんかやってほしいなーなんて思ってしまいました。もっとあの高音を毎回聞きたいんだよね。


1部では予算が2000円しかないとか、自分たちを見に来ているといっても、自分たちのどこかを(体の場所的にいって)見に来てるんじゃないかという話題になり、下半身だったらどうしようみたいなお話をしてました。二人して「わー」とかいって股間を露出狂的に見せるジェスチャーしたりしてました。確実におばかな下ネタをはさんできますね。好きだけど。

で、二人のどっちにファンが多いかという話しになって、白井氏がファンレターが少ないとむくれておられました。その場で、会場の拍手の音量でどっちのファンが多いか比べてみたら同じくらいでよかったです。でもねえ、白井氏にファンレター出そうとは思わないよね。なんとなく言語コミュニケーションは無理な感じがしますので。白井氏も「字よむの得意じゃないし」とか言ってたし、エクリチュールでのコミュニケーションは無理っぽいと思いますよね。あとは菊地氏のライブで共演したアントニオ猪木の話しやら。

あ、もっとも印象的だったのはゆびゆびのネタを真似した女の子がやりすぎて腱を切断してしまい、救急車で病院に運ばれたというお話。うわあ。そんなに危ないネタなのでしょうか。なんだかとっても象徴的なお話でした。

とっても楽しいんだけど、ライブだと準備してきた話しをするからかなー。オンラインの時ほどのライブな数珠つなぎ感はないですねえ。あれは奇跡のプログラムだったんだな。改めて。早くまたやってくんないかなー。


ブリッジでは白井氏がまばたきの限界に挑戦してました。あっさり菊地氏にあおがれてまばたきしちゃってましたけど。


で、問題の2部です。ビニール袋を使ったゲームです。
今回は、かつてないほどゲームが残酷だったり、セクシャルなことをしてたりしました。うわあ、地上波で絶対ながせなーいと思いながら見てました。すごいなあ。こんなきわどいことを笑える様にするなんて。見せ方変えたら現代アートだよと思った。

一つ目は人質というゲームで、長細く畳んだビニール袋で代表者の口を押さえこんで、お題をもごもごと読み上げさせて、何を言っているか当てるというゲーム。そもそもタイトルからして怖いですよね。やらされてる人はほんとうに苦しそうで残酷な感じでした。よくあんなの思いつくなー。自分だったら絶対思いつかない。ゲームをすこぶる身体的な苦痛を伴うものにしたあげく、言語を敢えて伝わりづらくして、ディスコミュニケーションとして楽しむように設定するという発想がなんだかすごい。ありきたりといえばありきたりなのかもしれませんが、一振りの残酷さが何か特殊な味付けになってるようです。
ちなみにアームストロングもシチサンライブでゲームをしてるんですが、それは皆で楽しくやるという方向性でとてもほのぼのとしていて、できれば学校で流行らそう!みたいなテンションでやっているのに対して、チーモンチョーチュウのゲームは明らかに逆で、皆でやってはいけないようなわるーいことをしてる感覚を楽しむという方向へひた走っています。そもそもシチサン以前の無限大1部2部のときもお母さんに怒られるようなゲームをやろうとしていたように、彼らのゲームをやるにはなんだかちょっと罪悪感があるんですが、それが無駄遣いだからダメとかいうレベルではなく、身体的にちょっと危険(息がつまる可能性あり)という方向に進化していて、なんだかいい意味でも悪い意味でもびびりました。だってほんの少し暴力の香りがするゲームなのだもの。

二つ目のけむしくんというゲームもなんだかやっている人が気持ちわるい。江戸川乱歩の芋虫ですか?あれは?大きなビニール袋から顔だけ出して、手の自由を奪った状態で、ゴールのケーキのイチゴを早く食べたほうが勝ちというゲーム。必死でもぞもぞする芸人たちを笑うわけですが、この感覚はどちらかというと嗤いなのではないだろうか???

三つ目はグングニルというタイトルで、筒状にまるめられたビニール袋を階段からゴミ箱に投げ入れるというもので、わりと健全でした。


四つ目は本当にやばいゲームでした。ヌキヌキというタイトルで、ズボンのチャックを下げて、筒状に丸めたビニール袋をズボンのなかに差し込み、何センチかチャックから出して(要はビニールがちんこにみえる)、さらにビニール袋を頭にかぶり、持ち手の穴から両手を出すという、またなんだか異形な姿になったうえで、お互い股間のビニール袋を手探りで引っこ抜くという、なんやら激しくエローなゲームでした。細かいことを言い出したら、これだけでどんだけのセクシャルな含意があるのやらもう訳がわからんくらいです。まじで、絶対地上波ではできないよね。

しかしこのゲームを見て思ったのは、これができるのはシチサンライブがとってもホモソーシャルだからですよね。いやまあ、少年少女とか女芸人が出てる時もあるので、必ずってわけではないんですけど。しかもやってることがホモソーシャルだから出来るだけでなく、限りなくホモセクシャルな行為だ。チョコレートプラネットの長田は最終的に相手に馬乗りになってビニール袋を引き抜いてました。「エクスカリバーだー、勇者だー」とか言ってましたが、これって見ようによっては男同士のセックス(レイプ?)そしてその後の去勢のメタファーですよ。うわああああ。と思いました。そしてそういうことをさらっとお笑いという口実なら人前でやってしまえるというのがすごいですよ。「こんな屈辱ありますか?」って言ってた人もいましたし。笑いには様々なことを許容する力があるとは常々思っていましたが、今回のは本当にすごい。最後に団体戦で、みんなが奇怪な扮装になったときは、なんかの宗教?儀式?というカオスな様相を呈していました。顔が見えない男の人が複数、呼吸困難になりながら舞台上でうごめいているなんて。倒錯したエロスを感じました。


いやー、このゲームたちが非常に語りづらい。だって、言語的な理解をこえていると思うんですよ。言葉をこえた非常に身体的な部分での笑いで、それを言葉で解説するのは難しい。少なくとも私にとっては。論理を越えた混沌とした部分での笑いで、しかもプリミティブな暴力、セックス、恐怖すら少し内包しているようで。そしてそれこそが、白井氏のどことなく現実離れした感覚が結実したものな感じで。そこにあるのは言語以前の身体的な、場合によってはセクシャルなコミュニケーションで、それは論理ではとらえきれないので、論理的な人間からしてみれば原始的な恐怖すら覚える様な。とまあ、少し大げさにではありますが、感じました。

罰ゲームのぶつかるってのもまあ、普通に暴力ですわな。はは。

(きっと笑うという行為が本来すこぶる身体的なものなので、こういう種類のものと親和性は高いのかもしれませんね。何もかも頭で理解しようとするのは私の悪い癖でもありますから。みなさんは、どうなんでしょう。笑いってなんなんでしょうね。)

白井氏はこういう言語以前のコミュニケーションを行う人という認識がファンには共通認識としてあると思うんですよ。だからこそファンレターは敢えて書かないという人が多いのではないでしょうか。なので、仕方ないですよね。ファンレターの数とファンの数はチーモンに関しては比例していないと思います。

しかしこういった言語以前のコミュニケ−ションを得意とする人が、言語によるコミュニケーションの純化である漫才を選んだとは非常に不思議。でもその言語をこえたどこか不思議で残酷な感じが漫才に反映されているからこそ、チーモンは面白くて独特なのだとも思いました。うーん、これからどんな風に暴走してくれるのでしょう。楽しみですが、きっとこの微妙な感覚を漫才に表現するのってとてもとても難しいのだろうなと思うのでした。