つらつらと続き☆

チーモンチョーチュウの笑いがなんだかよりプリミティブになっている件について考えている。なんというかずいずいずっころばしのネタとかはもう、ひたすら友達と色々遊んでいてテンションあがっちゃって楽しくって仕方ないっていうのを見せているわけだけど、あの無邪気さ、楽しさっていうのが伝わるかどうかっていうのが面白さの感じ方の分かれ目になるのかな。で、それが多分生でないとダイレクトに伝わらないんだろうな。その楽しさってのが、また遊戯に夢中になることから生じる身体的な遊びの部分で、やっぱり言語<身体になってるってのが最近のチーモンかと思います。もう漫才である必要あるのかってくらいさ。


hoho77さん(http://d.hatena.ne.jp/hoho77/20090415/1239801610)は生で見てとても楽しかったとコメントされてるし。多分そうなんだとおもう。ネットで見ると、どこか冷静に見てしまうし、そして生で見るほど見ている側の集中力もないから、微妙な空気は伝わらない。目につきやすいのは、ネタの内容とか構成力とか演技力とかで、空気は多分半分も伝わらない。多分それがカメラを通した放送というメディアの限界なんだと思う。生の身体を介在してしか伝わらないものがある。笑いはこんなにも身体性に依拠した微妙なものなんだな。

このネタって、平成ノブシコブシ徳井氏のブログでネタ作りが目撃された時に作っているとしたら(http://tokui.laff.jp/blog/2009/04/post-094b.html)、4/12に作って、4/14に初お披露目ですよね。できたてほやほやで、自分たちでもやってて楽しくってしょうがない状態でやってる感じなんでしょうね。(写真はまじめな感じだから、最後のネタをまとめてる段階みたい。作ってるときはきゃっきゃったのしくって仕方ないってA Ageトークで言ってましたものね。)

最近やっている他のネタと比べて楽しそうに見えたのは、本当にチーモンがやってて楽しかったからでしょうね。ネタ作りがたのしくって、その楽しさ自体がネタの面白さにダイレクトに現れているとしたら、そらあ何度もやってたら彼らが飽きてしまって、おもしろさも減るだろうね。彼らにとってのネタの鮮度がなくなってしまえば、あの楽しい空気が失われてしまうのは仕方ないのかもね。それはプロとしてどうなのかという問題はあるけど、どんどん新しいネタが作られていけばいいのかもしれない。しかしそれもきついとは思うけど。数本のネタをカンペキに演じ分けるタイプの漫才師もいるんだろうけど、チーモンはそういうタイプじゃないんでしょうね。ずっと同じスタイルでは飽きてしまうピカソみたいなことかな。

彼らの面白さの神髄が、彼ら自身が楽しんでいるというその空気感にあるとしたら、ライブこそが大事になってくるわけで、ネット視聴がメインになってくる中で勝負するのは大変かもしれない。ネット見て、ライブにも足を運ぶ、ロングテール部分な需要にはものすごくアピールする芸人なんだろうなあとは思うのだけれど。チーモンには誰にもまねできない、オーラ、生身の彼らから発されるアウラがあると思う。それをなるべく体感しにいかなくっちゃね。生身の人間の放つアウラは自分の生身の身体で受け止めにいかなくちゃいけないんだ。きっと。

おまけ的にチーモンの初ネタをのっけとこ。見てほわーっとした。オムライスをチョイスするあざとさ!ダウトー。