続き☆

あー、でもね物語の消失っていっても、実はベテランの漫才師さんのネタって明確なストーリーもなにもなくて、なんだかおしゃべりしてるなあっていうスタイルのも結構あるんですよね。もうひたすら話術がたくみっていう感じで。
この間、品川プリンスシアターのこけら落としに行ってい、そこで初めて宮川大介花子のネタを見ました。彼らはこれといって何かについて話すというわけでもなく、ひたすら花子さんが大介さんをおちょくり、応戦するというおしゃべりを聞いている感じでした。よく口がまわるもんだ!って感嘆しました。本当になめらかにネタが流れていくんですよね。当然特にどんなネタだったかというような記憶は残りません。

となると物語自体は漫才の前提ではないんですよね。本来。
ふーむ。
そういう本当におしゃべりのように聞こえる漫才から物語のある漫才へとむかい、そして脱構築へと向かったのかなあ。
漫才の流れを考えると色々複雑ですね。
ただ、言えるのは今の物語の消失は、前時代の物語の無さとは異質であるということですね。もともとないのと、あったものがなくなるのではそら意味が違いますよね。なかなか興味深いです。
あー、お笑いっておもしろい。今変化しているものっておもしろいなー。

おまけですが、エリートヤンキーのおもしろさは二人の本当におしゃべりしている感から来てるなと思いました。良い意味でクラシックなね。

私もみのちゃん好きよ。