怒。女芸人論。☆

「女は笑いに向いているか?」柳原可奈子が切り拓くお笑い男女平等社会
http://www.cyzo.com/2009/05/post_2091.html
この記事にはとても違和感があります。以下、フェミ的なことを書きますので、読みたくない人は飛ばしてください。そしてちょっと怒ってもいるので。

女性芸人を論ずるときに焦点にすべき要素が「裸になれるか」だというのは見当はずれも甚だしいのではないかな。これは松本人志の本のせいでもあるから、ラリー氏のみに責任は問えないけれど。本質的に全てをさらけ出すなんて、男女ともにありえない。ネタもトークも程度に差こそあれ、構成されたものなのですから。さらけ出しているように見せる、なんでもどん欲にネタにしようとするという姿勢を理想とするというのはわかりますが、それはあくまでもスタンスの問題です。しかも松本人志個人のスタンスの問題。まあ彼の影響力があまりに強いので、後継芸人がさらけ出す系思想に従っている感は否めませんが。でもね、全てをさらけ出すということが芸人の必要十分条件ではだんじてないと思う。そして女には出来ないというのもほんとかなと思うしね。むしろさらけ出すタイプの女芸人が受けなかっただけじゃない?やはり問題は芸人のみの資質ではなく、受容者側にもあるのだと思う。

本気出すととっても長い記事になるので、とりあえず自分的備忘録。
柳原可奈子ミソジニーを内包していて、女のいやらしさを抽出してパロディ化して、ネタにしている。それが受け入れられやすいのは、笑いという社会がこれまでとてもホモソーシャルな社会で、ミソジニーを内包しており、見る側もそれを共有しているから。柳原可奈子はそれを本能的に見抜き、自虐的に演じてみせているだけなのではないか。

柳原可奈子は確かに面白い。ミソジニー(女性嫌悪、蔑視)を内包した社会を皮肉るようなネタでもあるし、しかも実は本当にいやらしい女性を演じているわけでもないのだ。あー、こういう人いるよねと思わせる人でありつつも、どこか苦笑しながら許してしまえるような人物をカリカチュライズしている。何よりも見過ごせないのは彼女が演じるのはどこまでもしたたかな女性だということ。柳原可奈子は、これまでの人生で女性というジェンダーを生きる上で女であることをどう演じるかということを練り上げきった様な癖ありの女性をピックアップしてネタとして演じるのだ。生きて行くのは大変だから、苦労して自分のキャラを築き上げた女性は奇妙にねじれたキャラであっても、ある種の賞賛に値する。だからこそ、女性からも受けるのだろう。困った人だよねーと笑うことで、そういう困ったチャンをも許してしまえるのだ。
柳原可奈子は、ミソジニーに苛まれ、「女」を演じざるを得ない女性たちをおかしくもしたたかで強い人物として演じきる。彼女のネタの人物はすがすがしいくらい徹底して、「女」というキャラクターなのだ。

ほんとうに柳原可奈子のネタはしたたかな強さを感じさせながらも、どこか悲しい。そしてそれがネタに深みを与えていると思うのだ。

(ちなみに、女が女を笑う時代というのは今到来したわけでは断じて無いと思うのだが、メディアにのりだしたのは最近なのかな?漫画の江古田ちゃん、能町みね子氏のモテない系論あたりは確かに新しい流れかもだが。)

しかし、なんでもかんでも松本人志の言ったことから発して論じるのはもうやめませんか?議論が的外れになる。

ちょっとうんざり。
こういう一見女性礼賛的で実はなんにも分かってない批評が一番困るんだ。とりあえず男女平等とかいうのもね。


ちなみに、ミソジニーを前提としない女性芸人や、女性を演じる芸人もいます。例として、少年少女、メルヘン倶楽部など。これこそが新しい女性芸人の方向性だと思うのだけれど。女性であることを自虐的に見せなくてもちゃんと笑えるという方向性。

女性ではないメルヘン倶楽部が、意外にもある種いやらしさのない女性キャラを演じきっているのは皮肉でもあります。これは彼らが成熟し「女」になる前の、少女のわちゃわちゃした感を演じているというせいもありますが。実はミソジニーを最も強烈に持っているのが他ならぬ女性だということを浮き彫りにし、悲しくもなりますね。でもこれから色々なタイプの女性芸人が出ると思う。変にモテないとかの自虐も言わない感じのね。

追記:今、女芸人と本文中に書くのを無意識に自分がさけていたことに気がついた。男芸人とは言わないのに、女芸人というそのこと自体に違和感を感じていたようだ。あと、「男」「女」というとき、そこに必要以上にジェンダーを感じるのは気のせいだろうか。女性男性というほうが、比較的ニュートラルに語れるような。
ちなみにあえての女芸人の変化モデル
モテないとかいう自虐系芸人、ミソジニーを表面化(森三中)→「女」であるままの芸人、ミソジニーを内面化(柳原可奈子)→「女」であることに比較的無頓着な芸人、ミソジニーを忘却(少年少女)

あ、直感的にだが(なにせ古い芸人の知識が乏しいので)松本人志以前のほうが女(性)芸人は多かったのではないだろうか?だとしたら松本人志の罪はとても重い。

あとさらけ出すもんだってのは大阪芸人の特質なのかもとも、思った。ソースが出せないのが申し訳ないのだけれど、どなたかのブログで、大阪芸人がギャラなんかの話を堂々とするのにたいし、東京芸人のだれかがそこまで話すのすごいですね、自分はしないですみたいなことを言ったというのを読んだのだ。そういう差は確かに感じる。ただ、それでも大阪芸人が全てをさらけ出しているとは思わないけれどね。