M-1終了:テレビ、Youtube、ライブでのお笑い

M−1が終わりましたね。各所で色々言われてる様です。個人的にはもちろん敗者復活のチーモンチョーチュウを応援していましたが、ノンスタイルの優勝にもさほど異論はありません。

よく言われますが、どうもM−1にはM−1独特の勝ち方があるとか。素人なりに感じ取れるのは、いわゆる勢いのあるコンビが勝つということ。そして、その勢いというのは、練り上げられたテンポ感によって支えられているようですね。
様々なレビューを読みましたが、わりと納得したのは日刊サイゾーの記事(http://www.cyzo.com/2008/12/post_1327.html)とオール巨人師匠の日記(http://nikki-2006.seesaa.net/article/111579540.html)。ショートネタ番組が増え、短いネタに観客が慣れて行く中、サイゾー曰く「手数」と「スピード」感こそが重要になり、巨人師匠曰く「笑い待ち」が必要だった時代ではなくなったと。実際にだれが面白いがどうかはさておき、確かに時代を象徴はしているような気はします。

いわゆるネタ見せ番組だと、漫才という形式でなくともいいので 、キャラ重視だったり、コントだったり、リズム感のある音ネタだったりと、とりあえずインパクト勝負で一発屋になりかねない人たちも多くでてますね。そう考えると、M−1で勝つコンピが早さ重視という今までとちょっと違った形に変化してきてるとはいえ、あくまでも漫才という『枠組みの中での亜種』であって、あくまでも伝統的笑いの正統派で踏ん張ろうとしている様です。

毎年皮肉だなと思うのは、漫才で優勝したM-1優勝者が、優勝後にテレビに出て売れるとはいえ、テレビでは漫才をあまりしなくなってしまうことですね。島田紳介がどこかで言っていたことですが、
「漫才はしんどい。がんばってもほんの少ししか評価されずむくわれない。だからテレビでフリートークできるやつ、司会できるやつが生き残るんや。」と。なんとも皮肉だと思いませんか。おそらく漫才を愛しているが故、漫才師を世に出したいのでしょうが、テレビでは漫才だけではもたないと思っているわけですよね。
しかし、ですよ。
舞台でずーっとやっているベテラン芸人という方もたくさん存在するわけです。島田紳介のテレビで売れることが一番大事だと考えている発想にはなにか違和感を覚えます。というよりも、あくまでもテレビというメディアが情報の発信源として、圧倒的な権力を握っていた旧世代に生きた人間にとっての認識の限界という感じです。

というのも、ショートネタがはやるようになったのは、テレビの番組のせいだけではないと思うからです。それにはもっと大きな変化が原因になっているとおもうんです。
(ここから小難しくなるのでうざい人は飛ばしてくださいね。)
文化論ではよく言われることですが、随分以前から(ポストモダンってやつです)ほとんどの人が共感するような、共通の文化というのはもう失われてきていると言われています。インターネットや様々な情報にさらされるようになり、人は情報を手に入れる際に素早く選択する必要があるわけです。そうして、自分にとって興味のないものは切り捨てるのがとても早くなっているわけです。そうやって自分の興味のあるチャンネルしか見ない人、ある種情報の取捨選択が得意な情報強者が増えた一方で、残念ながら自分でチャンネルを選択することを全くしない人も増加しているようですが。それはまた別の話題なのでちょっと置いておきます。

そういうマニアで自分の興味のあるものしか見ない人というのは、笑いにしてもyoutubeなどでざーっと情報をザッピングし、面白いものだけを拾って、テレビはほとんど見ないのではないでしょうか。テレビを見るとしても、例えばお笑い番組だけを重点的にみるとか、お笑い番組のなかでも見るものと見ないものを当然早い時期にふりわけるでしょう。
そして、面白いとおもったものを何度も何度も見る。ネットの中でスターになるっていうのは最近よくある現象です。実際youtubeから火がつく、鳥居みゆきや小島よしおなどの芸人もすでに存在していますし。

そしてなによりもyoutubeにアップロードできる動画には時間制限がありますね。著作権の問題もあるのでしょうが、まさにこの短さが、現在の空気を象徴している気がしてなりません。ザッピングしてお試しするのに我慢できるぎりぎりの長さが10分なのではないでしょうか。ハードが変化すると、ソフトつまりは人間の認識も変わります。人間の認識が変わるとハードもそれにあわせて変わります。正直鶏と卵のどちらが先かといわれると難しいですが、おおきな流れとして、情報をコンパクトにまとめるというのは非常に重要なのだと思います。

そしてそれにあわせてネタの長さに対する耐性もかわってきてるんでしょう。youtubeの動画は一応10分までのようですが、番組を10分ごとに区切ってアップするというよりは、切りがいいように、最近の短いお笑いのネタを一つずつアップしていることが多いです。番組を細切れにして自分の欲しい所だけアップしている場合が増えているわけです。番組全体をみることもあるでしょうが、一端好きとなったら、その芸人のネタだけ検索し、ピックアップして見続けることが可能なんです。

お笑いはテレビでももう過剰なくらい見れるし、しかもネットで簡単に何度でも見ることができる。はっきりいって、ネタに飽きるのがとても早くなってきているんですね。ネタ自体が長くても飽きる、そして簡単に何度もネタが見れてしまうので、同じネタを何度もやる芸人もすぐに飽きられる。非常に芸人にとって過酷な時代ですね。

こうして簡単に録画されたネタにあきられてしまう時代になってしまった場合、次は何に向かうのかと考えれば、それはライブなのではないかと思います。つまりライブでネタに飽きないファンを獲得する必要があるんじゃないかと思うわけです。島田紳介はテレビでのフリートークが出来ないとイカンといいますが、そういったありかた、テレビ至上主義が崩壊している今、そして、客がネタ自体はもうすでに知っている場合、何が求められるかと言えば、おそらくそれは、ライブで感じられる高揚感、その場で体験しているという充実感ではないでしょうか。ある種テレビ以前のよりプリミティブな鑑賞体験といったものが再度求められる可能性があると思います。

もう一つ可能性としてあるのは、youtubeといった新しいメディアに向けた笑いを構築することです。数分で、あきさせず、なおかつ、大衆に向けた分かりやすく規制されたものではない毒があるぎりぎりの笑いに挑戦すること。そして、それを鑑賞するのはネットの前で一人だけなのですから、周りが皆うけているからなんとなく笑ってしまうということもないわけですから、ほんとうに、純粋にネタの質をあげること。そして、一回見て飽きてしまうのではない、何度見ても笑えるような笑い作りです。

ライブ師、あるいはネットコンテンツ師。

こういった方向性をもった芸人さんが今後活躍していくのではないかと思います。実際、テレビで評価が高い芸人と、ネットなどで評価の高い芸人って違いますし。つまり、もうマスに向けた笑いだけでなくていいわけです。ニッチな需要にこたえるという方向でもアリなんだと思います。そして視聴者ももはや、テレビが売り出そうとしてパッケージされた商品を素直に受け入れる時代ではないのです。

例えばミュージシャンでもそうですよね。自宅録音とかいわゆるスタジオで作り込む音楽のひとと、ライブがばつぐんにいいライブミュージシャン、そして、大衆にうけるポップミュージシャン。
ポップミュージックはもうすでに売り上げががたおちです。一方でマニアにうけるものはおそらく売り上げの変動はないでしょう。もう皆にうけるものなどないんです。となったらマニアにうけるしかない!

あくまでもM-1という漫才勝負という枠組みのなかで、勝ったノンスタイルM-1という一応は大衆すなわちマジョリティーのポピュラリティー獲得を目指した大会での優勝です。時代が変動し、スピード、インパクトが求められる分、すぐに飽きられてしまう世の中、頑張ってほしいものです。

本来はライブ師であるらしい彼ら。おそらくはその方向性を維持するのが重要で、生き残りにかかってくると思います。どうかテレビタレントになりさがりませんように。今後どう活躍していくか楽しみです。