視覚的なシュール☆

チーモンチョーチュウのネタってとても視覚的なイマジネーションが広がるものが多いと思う。


例えば朝の起こし方のネタ。
(ネタばれしすぎてもあれなんで、詳細の解説ははしょりますー。発想の飛躍を楽しんだほうがいいもんね。)


彼らのつむぐ言葉を聞いていると不可思議でちょっとグロイ情景が次々と網膜に浮かぶのだ。いちいちホラーで連動していない場面が浮かんでは消える。こういう発想が飛躍しながら言葉が数珠つなぎになっていくというのもシュールレアリスムだなと思う。


19 世紀にブルトンシュールレアリストが試みたことの一つに自動筆記というものがある。これは無意識からわき上がるものを表現するために、頭で言葉を選んで詩を書くのではなく、ペンがまるで自動的に書くように、詩を書こうという試みだ。もちろん、完全な無意識など存在しないので、そんなことは本当には不可能ではあるのだけれど、シュールレアリストが生み出した詩は一見意味のつながりがなく、不可思議ではある。そしてその言葉を読んでいくと、頭の中には次々と奇妙で不思議な事物や情景が浮かんでは消えるという鑑賞体験になるのだ。そういう不可思議な言葉遊びを読むビジュアルを伴った体験、これがチーモンのネタを見ているときにも起きているような気がする。


基本的にお笑いの話術って場面を想像させる為に様々なテクニックがあるようだけれど、浮かぶ情景がシュールでメルヘンなのってなかなかいないような。


言葉遊びが秀逸で、さらにそこから想像されるビジュアルにも驚きがある。

今日もあらためてチーモンすばらしーいと思ったのでした。